こんにちは。元JICA海外協力隊のおぽきょです。
「青年海外協力隊」という2年間。それは外から見れば「国際貢献」や「ボランティア」という綺麗な言葉でまとめられがちですが、実際にはどのような“生活”だったのでしょうか。
この記事では、私の「心の動き」を時系列で全公開します。 ベースとなるのは、私が当時書き殴った日記を元に自費出版した体験記『ぼんじゅーる、カメルーン』の、未編集の原稿です。
キラキラした話だけではありません。「最初の葛藤」「中だるみ」「最後の焦り」…その全てが、今の私を作っています。
Contents
第一章:最初の3ヶ月。「Chinois(中国人)」と呼ばれた私の“葛藤”
訓練を終え、カメルーンの首都ヤウンデに降り立った瞬間、私が感じたのは希望ではなく、圧倒的な不安でした。「ヤウンデのにおい」という、到着初日の日記です。
青い壁の入国審査室に行列ができ、嗅いだことのない不思議なにおいが漂っていた。酸っぱいようで、土のような——良いにおいでも不快なにおいでもない。
ホームステイが始まり、言葉も文化も違う環境で、精神的に追い詰められていきます。「カメルーンへ来て」という日記です。
想像以上の負担、想像以上の精神的疲労——語学の不自由も原因の一つなのだろう。…(中略)…疲れとともに学ぶことは非常に多い。
何より辛かったのは、街を歩けばからかわれることでした。自分の存在が受け入れられていないと感じ、孤独でした。「言葉の音」という日記です。
私の顔を見ると誰もが、「ヒーホー(=ニーハオ)、Chinois(=中国人)」と言うか、意味不明なことをつぶやいて、おちょくってくる。…(中略)…夕刻の空はいつも残酷なほど美しく、挫けそうになっている自分の脆い命があざ笑われているように感じた。
当時の私は、日本社会から「逃げてきた」というコンプレックスを抱えていました。「哀しい瞳」という日記です。
そんな私は今アフリカにいる。「日本社会」から逃げ続けて。「ふつうの大卒」を避け続けて。…(中略)…臆病な私には逃げ続けるしかできないのだろうとも思っていた。…(中略)…けれど今、とにかく今は——私はこの場所で、そんな「逃げ腰の自分」を誇りに思う。
第二章:中だるみ期。「私、ここで何してるんやろ」という“無気力”
最初の半年が過ぎ、生活にも慣れてくると、今度は「中だるみ」がやってきました。活動がうまくいかない現実と、あまりに偉大な「前任者」との比較。自分の存在意義に悩み、無気力になっていた時期。活動がうまくいかないのに、時間はたっぷりある。そんな贅沢な環境が、余計に自分を追い詰めました。
「前任が帰ってからゴミ分別は機能しなくなった」 「あなたに前任が残してきた成果のようなものを残す力はあるのか」と。…(中略)…悔しくて、どうしようもなくて、理解者があまりにも少ない——だから、言い訳をするしかなかった。「私はボランティアだ」と。
無気力というのは、私から趣味さえも奪ってしまうのか。…(中略)…一体自分は何をしているのだろうと思いながら、ただ自己嫌悪感だけが渦巻いている。…(中略)…JICAの観点からのはっきりとした正解はないし、直接的な評価もない。…(中略)…活動をどう定義するのかも、どのように評価するのかもすべて自分次第なのだ。
第三章:最後の半年。「帰りたくない」という“答え”
あんなに悩み、無気力だったのに、不思議なものです。帰国が近づく「最後の半年」になると、今度は強烈な“焦り”と“寂しさ”が私を襲いました。
カメルーンでの生活も残り半年となってしまった。…(中略)…カメルーンに来て一年八カ月と十二日経った。来てすぐの頃は帰国まであと七百日だ——などと計算したりしたものだが、帰国まで数えるほどになると、ちっとも数えたくなくなってしまうから不思議だ。
結局、私は目に見える「成果」なんて残せなかった。でも、そんなことはどうでもよくなっていたのです。私が得た「答え」は、もっと別の場所にありました。「やがて恋しきカメルーン」という最後の日記です。
活動で大きな成果を残すことができなかったけれど(実際途中から残そうとも思わなくなった)、人間として、人生においてなにか本当に大切なことに気付かせてもらった二年間だったと思う。…(中略)…人の温もりや繋がりがこれほど私を安心させるとは。
そして、帰国の日。日本に着いた私が感じたのは「逆カルチャーショック」と、強烈な「喪失感」でした。「東京にて」という日記です。
日本は清潔感があった。美しく、便利で、機械的で、無表情だと思った。…(中略)…話しかけてくる人さえ、誰もいない。…(中略)…ああ、カメルーンが恋しい。
まとめ:この「2年間」が、私の“原点”です
ここまで、私の生々しい葛藤と心の動きを読んでくださり、ありがとうございます。
この2年間で得た「無力感」と「圧倒的な孤独」、そして最後に知った「人の温かさ」こそが、その後の海外大学院や大使館勤務へと繋がる、私の「国際協力キャリア」の全ての“原点”です。 この不器用で泥臭い体験があったからこそ、今の私があります。
【次におすすめの記事】 このカメルーンでの「原点」を経て、その後のキャリア(大学院・外務省)でどのような葛藤があったのか。国際協力の「全体像」を知りたい方は、こちらの記事も合わせて読んでみてください。


コメントを残す