こんにちは、おぽきょです。
「国際協力」と聞くと、「人の役に立てる仕事」「世界を良くする活動」といった前向きでキラキラしたイメージがあるかもしれません。 でも実際に現場に出てみると、それだけじゃ語れない泥臭い現実があります。
私は、大学でやりたいことも見つからず、なんとなく飛び込んだ青年海外協力隊で、はじめて「社会」と「世界」に本気で向き合いました。その後、海外の大学院へ進学し、外務省関連のプロジェクト(在外公館)にも関わる中で感じたのは、「理想を掲げること」以上に現場で生き延びることの難しさと大切さでした。
この記事では、キラキラしたイメージとは裏腹の“リアルな国際協力の現場と葛藤”を赤裸々に語ります。
Contents
青年海外協力隊で見た、希望と絶望のコントラスト
協力隊として派遣されたカメルーンの現場は、想像を超える出来事の連続でした。 停電や断水は当たり前。雨水で生活し、言葉も思うように通じない。仕事の成果もすぐには見えません。
現地の中学校で環境教育の授業を担当していましたが、思うように授業が進まず自己嫌悪に陥る日々。新卒で「何か特別なことができる」と意気込んでいた自分自身の傲慢さを突きつけられました。毎日一人で緊張感を抱え、ゆったりと暮らす現地の人たちとの距離感に苦しんでいました。
それでも、私を支えてくれたのは他でもない現地の人々でした。 当時の日記に、こんな記録が残っています。
協力隊の活動の中で出会った、カメルーンのお父さんのような存在、エバレさん。農業を本業としている彼だが、中学校で理科と数学を教えてもう20年以上が経つというベテラン教師でもある。 ひいき目なしで、彼は教えるのが上手だなあと思う。教える相手の側に立って気持ちを汲み取ることができるから、生徒達にも人気がある。何度、「彼に数学を教わりたかった」と感じたことか。
私や他の日本人ボランティアを気にかけてくれて、問題があれば助けてくれるし、時間があれば一緒にバーに赴き、たわいもない話をする。家族のような存在でありながら、職場では一緒にチームとして働くことのできる良き同僚でもある。
気づけばいつも、私が一人で思い詰めているだけで、そばには静かに寄り添ってくれる人がいました。「自分は何もできない。学ばせてもらってばかりだ」という葛藤すらも、彼らは温かく包み込んでくれました。
このカメルーンでの強烈な無力感と温かさの経験こそが、私が国際協力の道を本格的に進もうと決意した原点です。
海外の大学院で突きつけられた「意見を言う」ことの壁
協力隊を終えた後、私は国連平和大学(UPEACE)とアテネオ・デ・マニラ大学の連携プログラムへ進学し、社会開発学と環境開発学の修士号を取得しました。
この経験は、単に学術的な知識を得る以上に、世界の中で自分の声(意見)を持つことの難しさと向き合う壮絶な転機となりました。
世界中から集まったクラスメイトたちは、それぞれの国や文化に根ざした強烈な価値観や「正義」を持ち、それを論理的に主張する力に長けていました。特に欧米出身の学生たちは、議論の場でも自信に満ち溢れています。 対して私は、英語で思考を言語化するスピードや語彙の壁にぶつかり、議論についていけない場面もしばしば。「自分の意見を持っていない人間だ」と見なされる恐怖や、不平等さに苛まれる日々でした。
また、ヴィーガンやベジタリアンの学生が、動物性食品を食べる文化を「環境や命への配慮が足りない」と鋭く批判する姿勢にも戸惑いました。それはまるで、各地に根づいた伝統的な食文化までも否定されているように感じたのです。
そんなヒリヒリした環境の中で、同じアジア出身の仲間たち(フィリピン、ミャンマー、カンボジアなど)と顔を合わせると、心から「ただいま」と安堵しました。 沈黙を恐れず聞く姿勢、相手を慮る態度、立場の違いへの共感。そんな「アジア的な価値観」もまた、グローバルな場において決して弱点ではなく、ファシリテーションにおける強力な武器になり得るのだと学びました。
外務省(在外公館)で見えた「国を背負って発信する」責任
大学院修了後、私はアフリカにある日本の大使館(在外公館)で、広報文化事業やODA(草の根無償資金協力)を担当することになりました。
大使館という「国家の顔」で働くことは、これまでの「個人として意見を言う(大学院)」フェーズから、「国の立場を背負って伝える」という全く異なる次元へのステージチェンジでした。
文化イベントの企画、地元メディアとの折衝、SNSでの発信など、すべてのアクションにおいて「日本という国のイメージ」を強烈に意識する必要があります。 ODAの現地調査や資金援助プロジェクトでは、相手国が本当に求めているニーズと、日本の政策方針との間で、シビアな調整役を担いました。
この時、大学院で徹底的に議論した「価値観の違い」が、より実務的で重い課題として迫ってきました。現地の人々の想いをどこまで正確に汲み取れるか。そして、支援という名のもとに「自分たち(日本)の正義」を押しつけてはいないか。 言葉や立場の圧倒的な差を超えて、対等な信頼関係を築くことの難しさと尊さを、現場の最前線で痛感しました。
まとめ:キャリアは「ジグザグ」でいい
「国際協力」というと、初めから語学が堪能で、専門知識があり、国連やJICAのエリートコースを真っ直ぐに歩むような“特別な人”の道を想像するかもしれません。
でも実際の私のキャリアは、新卒で協力隊に飛び込み、無力感に打ちのめされ、大学院で議論に打ちのめされ、大使館で国の重圧に打ちのめされながら進んできたジグザグな道です。
やりたい理由は「何となく」や「現状からの逃げ」でも構いません。最初の一歩は弱くても、動いた先には必ず、想像の100倍リアルで泥臭い現場が待っています。 そこで自分なりに試行錯誤し、悩みながら進んだ道のりそのものが、あなただけの「国際協力のキャリア」になっていくはずです。

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