服装の色合わせがちゃんと合う。アイシャドウのノリが良い。お気に入りの香水を纏って新品の革靴を履く。硬い皮が足の甲にあたって少し痛いけれど、ワクワクする。

自分の内に目が向くようになった。30歳をこえてからだろうか。

これまでは、ただ外の世界に驚嘆しながら、膨らむ好奇心のまま、世界を旅した。そして暮らした。

異文化という一言ではどうしても伝えられないほどの多様な色彩と人々との出会いがあった。だから文章を書き始めた。20代前半の文章を読んでみると、ちょっと見栄っ張りな文体が小っ恥ずかしくなったりするけれど、しっかり自分の目で世界を捉えていたのだなあと、過去の自分にちょっと感謝したりもした。

「海の底をずっと辿っていくと、空につながっているのかもしれないね。」

「身体の中には無限の宇宙があるのかもしれないね。」

そんな話を、コスタリカの小さな街で友達と語らったことがあった。
私はぐるりと地球を回って、自分の内側の宇宙に、戻ってきたのかもしれないなあ。
ととのえることが好きだ。

髪をととのえ、顔にクリームを塗って肌をととのえる。おでかけする時の気分で服装を変える。イヤリングや時計で華やかにする。使い古した鞄に愛着を感じる。電車の窓に映った自分を見て、今日の服、いいやん。と心の中でとなえる。お気に入りの香りが、誰か別の友達のお気に入りだった時はもっと嬉しい。誰かと一緒に食べるご飯も、飲むお酒も、全部内側に入ってくる。その時話す言葉や雰囲気で、それらはとても違った効果を発揮する。心から話せた日のお酒は、どんな高いお酒よりも美味しいけれど、どれだけ高いお酒でも、自分を閉じ込めた建前の会話しかできない場では味がしない。

混沌の中に平和を感じる。Feel peace in chaos.
自分の内側にあったのかもしれない言葉だけれど、この言葉を発するためにはとある親しい友達とたくさんの対話を積み重ねる必要があった。
オーセンティックヒューマン。
何よりも粋な賛辞。
思い出すのはコスタリカでの思い出ばかり。
時間が経つと、私は人の名前や話した記憶を忘れてしまう。
特に、協力隊時代の訓練所での経験の記憶が、私はあまりにも曖昧で、時折出会う元協力隊の人はよく覚えているなと感心する。
時間の差があったとしても、私はコスタリカの少ない友人達と語らった時間を忘れられない。エジプト、ウズベキスタン、オランダ、ギニア、ベトナム。それぞれの価値観がぶつかって火花が散る時もあれば、互いに共鳴して前進することだってある。それらは全部内側に入ってきて、そうしていつしか「私」の一部になっていた。
コスタリカでも、モロッコでも、あたたかい日は毎日泳いだ。陽光に焼けようが、泳ぎが下手であろうが、ただ魚のようにぐるぐる泳ぐことが心地よかった。頭を空っぽにして、水に身体を預けた時、その浮力によってどこまでも進んでいけそうな心地になる。それが好きだった。それが、あるいは「ととのう」とでもいうのだろうか。
支離滅裂だけれど、とにかく私は常々変化している。海外での記憶は美化されて、いいことばかりが思い出されるけれど、当時、小説的な断片みたいな対話と風景は、今も脳裏に焼きついて離れない。
それらを健全に憶えておくために、そしてその記憶と共に未来に向かうために、私は今日もととのえる。自分の中身も、身だしなみも。