「ジビエの脚」をもらったから今から解体するので、見たかったらおいでよと誘ってもらった。夫婦共にイノシシの解体の仕事をしていたこともあり、肉の解体に関してはプロフェッショナルである。田舎では猟師から鹿やイノシシの肉を分けてもらうことがよくあるらしく、友人のお隣さんがもらったものの、この状態でもらっても・・・ということで解体経験のある2人の元へやってきたのだそうだ。
この日はしんしんと冷える日だった。朝から雪が降り、ほんのり屋根や畑を白く染め、地元民は「数年に一回くらい」しか降らない雪を寒い寒いと言いながらも少し興奮気味に語った。
午前11時を回るのに少し薄暗くどんよりとした天気で、家から出る気もないまま昼過ぎに突入しようとしていた。露出した手はみるみる先から冷えていく。そんな寒さだったが、夫婦から連絡をもらって急いで自転車を走らせた。
彼らの家入り口を入るとすぐに倉庫のような広いガレージになっていて、そこにすでに手術台のような大きなテーブルが置かれていて、マスクと綿の帽子、エプロンを巻いた夫婦が黒いゴム手袋で装備する。
「これが鹿の脚です」
そう言って旦那のタクちゃんの胴体が隠れるくらいの幅がある鹿の足を見せてくれた。鹿の関節を思わせる角張った足の形があらわになる。皮などは除かれているらしく、綺麗な赤みの多い肉という印象だ。
テーブルには新聞、ビニールを敷き詰められていて、タクちゃんが手早く、大量のキッチンペーパーを肉に巻きつけて水分をとりはじめた。「猟師さん、結構鹿の構造をよくわかっているみたいで、うまく脚をはずせている」みたいなことを言った。
小さな電球で照らされたその場所が、何か特別なことが始まりそうな不思議な雰囲気を漂わせている。
分厚い布で巻かれた包丁を取り出しビニールの上に置かれた肉に向き合う。どのように解体するか、どのように「外す」か、目で見るだけですぐにわかるようだ。
そしてそれは、始まりの合図もなく突如始まる。音もなく、鋭く小さなナイフが肉に入れられる。
骨から肉が美しいほどに剥ぎ取られて行く。 これがリンパ、ここが肩甲骨、ここが膝のサラ。リンパだと言って見せてくれる。「いらない部分」はそれ専用のビニールに放り込まれていく。
リンパと言って見せられた白い皮。そこに浮かぶブツブツは、小豆のように見えて、リンパというのはこういうものだったかと首を捻らせる。そんなことを気にしている間にも、サクサクと「解体」は進められていく。塩を擦っていた奥さんのサヨさんも、タクちゃんと同じように包丁を持って参戦する。
「サヨちゃんは肩外すの得意だもんね」
「イノシシの肩かなり外してたからね、前の職場で。タクちゃんがイノシシの背骨とかを外している隅でね、コツコツやってたんだよ」
彼らにとっては前職の経験を話しているだけなのだろうけれど、そんな会話もオレンジのランプと赤い血肉の強烈な色彩を目にしていると、なんだか感動的ですらある。
*
酸化した黒い部分を筋に沿って外していく。タクちゃんの手にかかれば、肉は彼の思うがままに剥がされ、新鮮な部分と酸化した部分に分かれる。それらは生き物だった姿から少しずつ、肉塊となって鉄の鍋に放り込まれていく。骨は白い部分を剥き出しにして、それらはビニールの中に仕分けられて行く。出汁を取るために取っておくそうだ。
肉塊を見つめていると唾液が出てくる。
サヨさんは「肉〜!!」と言いながら鹿の肩や足を外していく。
ああ自分は、私たちは肉を食す人間だ。
鹿の足の関節が生きているその動物を思わせても、小豆のようなリンパを見ても、肉は肉であり、それは食すものであった。
結局、鹿の姿など脳裏に浮かぶはずもなく、部位は部位としてその肉塊の名称に過ぎないのだった。ジビエとして、私はそれを見つめていた。
凍えるような寒さの中、外の庭で薪をくべて火をつけた。
サヨさんが準備してくれた木材を焚べて、彼と一緒に火を見つめる。新年に見つめた焚き火を思う。こうして穏やかな火を見つめるのって悪くない。ぱちっと音を上げながら、みるみる薪は黒く燃えていく。チラチラと雪が降り出して、長靴を履いた私の足裏はもはや感覚を失うほどに冷え込んでいく。
タクちゃんは、ジビエのロースの部分を解体・スライスした後、すぐに薪焼にしてくれた。麺の水を切るザルのようなものを炭火に置いて、塩胡椒で味付けをした肉をザルの中でひたすらかき混ぜる。熱したのと同じ時間冷ます。油をかけて煙で「マスク」する。これを何度か繰り返すと、宮崎の地鶏炭火焼きのような炭のついた香ばしい肉が完成する。
サヨさんが手際よく米や割り箸を持ってきてくれて、私たちはジビエを食べた。さっきまで脚の形をしていたそれは、こんがりと香ばしい香りを放つ茶色い肉として私たちに食された。うまい、うまい、ビールが飲みたい。そんなことばを発する口に、肉は放り投げられ、噛み砕かれていく。
程よくやわらかで歯応えがある。ジビエはほとんど脂身がないのでもたれない。いくらでもいけそうである。冷え切った私の体が少し、温度を取り戻すのを感じた。
かわいそう?その問いは、香ばしい肉の香りと味によって消えていった。私たちは生き物を殺して生きている。
そしてタクちゃんとサヨさん、それについて目を逸らすことはない。知っている上でイノシシを捌いてきた。イノシシだって生き物だ。母イノシシは瓜坊を守るために人を襲うかもしれない。人間は襲われる人を減らすためにイノシシを狩るのかもしれない。シカも増えすぎてはいけないからと、狩るのかもしれない。タクちゃんとサヨさんは、命をいただくからこそ、その骨までしゃぶり尽くす作法を知っているし、だからこそ美しく骨から肉を外す。『いただきます』の本質を、言葉ではなく包丁さばきで語る彼らを、私は心から尊敬する。

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